お掃除今昔物語 ―日本の掃除文化はどうやって広まった?掃除の歴史を振り返ってみよう
2021.02.17
業界コラム
Withコロナの時代、世界中で手指の消毒や清潔さを保つことの大切さが見直されています。
海外から、日本は掃除がいきとどいている、清潔だというイメージで捉えられることも多いですが、「掃除」の文化はどうやって根付いていったのでしょうか?
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縄文・弥生時代~日本人の生活習慣は、気候が育てた?
歴史の授業のなかで一度は耳にしたことがある「貝塚」。
これは約1万3千年以上まえ、縄文時代の人々が、食べたあとの貝殻やごみをひとところに集めていたことを示す遺跡です。
最近の研究では、当時の人々の3割程度が65歳程度まで生きていたことがわかりました。
高温多湿な日本では、生活の場とごみを捨てる場所を明確に分け、身の回りをきれいにしていなければ長生きすることはできません。
日本独特の気候が、はるか昔に生きていた人々に掃除の基本となるような習慣を根付かせたのかもしれません。
飛鳥時代~「掃除」という概念がやってきた
身の回りをきれいにするという意識を持っていた日本人に「掃除」という概念が根付いたのは飛鳥時代。
遣唐使によって日本にもたらされた仏教思想から、貴族の間に「掃除」をするという考えが広まっていきました。
日本最古の書物『古事記』には、掃除にまつわるこんなお話も残っています。
下照比売(したてるひめ)という女神が、夫の天若日子(あまわかひこ)を亡くした時、葬送のための部屋をほうきで掃き掃除した――これは死者の霊が再び戻ってこないために清めるという儀式だそうです。
現代とは違い、古代の「掃除」は宗教的な意味合いが大きい行いでした。
奈良時代~お掃除は宮中行事として始まる
奈良時代にはいると、掃除は宗教儀式の色合いがより濃くなってきました。
当時の掃除道具は、柄の短いほうきが主で、「箒(ははき)」と呼ばれていました。
箒(ははき)は神聖なものとして扱われ、箒神(ははきがみ)という出産にまつわる神が宿るものと信じられていました。
奈良にある正倉院には、日本最古の箒『子日目利箒(ねのひのめとぎのほうき)』が残されています。穂先に美しい小さなガラス玉が通されたこの箒は、掃除道具ではなく、皇后が行う神事の儀式に使われていたそうです。
当時、ほうきを使い掃き清めるという行いは“良いものを招き悪いものを掃き出す”という意味がこめられています。
現代でも安産を願うお守りとして小さなほうきが使われたり、京都に古くから伝わる「逆さほうき(ほうきを逆さまに立てて長居をする客を早く帰すまじない)」など、長く根付いた習慣となりました。
平安時代~神事としてのお掃除、掃き清めることで穢れをはらう
これまでの時代では、繊維や羽でできた穂先をもつほうき・ハタキといった道具が使われていました。
平安時代に入ると、これに加え現代のモップによく似た道具が登場します。
その道具は長い柄の先がT字型になっている棒に布を長い布を挟んだもので、貴族の屋敷を掃除している使用人の絵が残っています。
当時の宮殿や貴族の屋敷は、平安絵巻などでもよく見かける『寝殿造』という広い板間と柱だけで壁のない建物でした。このためモップのような道具のほうが掃除しやすかったのではないかと考えられています。
さらに平安時代は疫病の流行なども「穢れ」と捉え、清掃は穢れをはらう神事といった面が強かったようです。
清掃に関する取り決めも当時の法律『延喜式(えんぎしき)』で厳しく定め、掃部寮(かもんのりょう)と呼ばれる宮中の掃除を担当する部署も作られました。
現代でも続く習慣“年末の大掃除”が生まれたのもこの頃だと言われています。
当時の大掃除は『すす払い』と呼ばれ、厄を払って新年を迎えるための宮中儀式のひとつでした。
鎌倉時代から室町時代~掃除は修行、そして雑巾がけが始まった
時代は移り変わり、日本は貴族社会から武家社会へと変化していきました。
時を同じくして、掃除の習慣は宮中行事から仏教寺院で行われる修行になりました。
鎌倉時代から室町時代にかけて、中国から伝わってきた禅宗の教えは『一掃除 二座禅 三看経(かんきん)』と言われ、修行においてなによりも大事なのは掃除とされています。
“一休さん”の愛称で親しまれている修行中の小坊主が、ほうきや雑巾がけをする姿が絵本や紙芝居、アニメなどでよく見かけられますが、そのモデルとなった僧侶・一休宗純も室町時代の人物です。
また、この頃から日本における建物の形式にも変化が現れました。
武家屋敷や寺院に多く用いられた『書院造』は、屋敷内の部屋が壁で区切られ、基本的に畳敷きとなっています。
掃除にも変化があり、これまでほうきやハタキで“掃く”“はらう”が中心だったやり方に加え、布で“拭く”という方法が根付きました。
江戸時代~世界最大の都市・江戸、誰もが清潔を保つために
長い戦乱の時代のすえに始まった徳川幕府。
江戸時代は265年の長きにわたり、大きな戦のない時代でもありました。
首都であった江戸はなんと人口110万人と推定されていて、これはヨーロッパやパリなどの大都市の人口よりもはるかに多く、世界最大の都市といわれています。
また戦がないことから庶民の生活のレベルもアップし、さまざまな文化や商売が発展していきました。
人口密集度の高い江戸では公衆衛生の意識も高くなりました。
ゴミの収集・運搬・処理、糞尿を集め肥料にするなどの、現代のエコやリサイクルにも似たシステムが早くから出来上がっています。
これまでは僧侶の修行や神事としての面が大きかった「掃除」が、江戸時代になり「清潔を維持するため」一般庶民に根付いていきました。
武士や商人、農民、職人など、どの身分の人暮らしのなかにも「掃除」が組み込まれ、多くの家庭にほうきやハタキ、ちりとりといった掃除道具があったそうです。
近代(明治・大正・昭和時代)~広がる交易とともに高まった、公衆衛生
近代になると、「掃除」は「公衆衛生」に繋がっていきます。
鎖国をとき海外と交易をするようになった日本は、コレラなどの新たな疫病の被害に何度も襲われました。
日本各地で多くの死者が発生し、政府は公衆衛生にいちはやく取りかからなければなりませんでした。
とくに大勢の児童が集まる学校では伝染病が流行しやすいため、換気や日当たり、清掃によって清潔さを保つことが推奨されました。このころから、学校の掃除を児童が行うことで、掃除のやり方や大切さを学習させるといった習慣も始まりました。
近代にかけて、建物もレンガやコンクリート造りが中心となっていきました。
リノリウムの床や絨毯、カーテン、タイルなど一般家庭にも普及し西洋化していったことで、アルコールや硝酸などの薬品を用いた掃除方法や、モップ・デッキブラシといった新たな道具も広く使われていくようになりました。
戦後から現代~より便利に、使いやすく発展していく掃除道具
二度の世界大戦といった苦しい時代を乗り越えた日本にやってきたのは、高度成長期と呼ばれる時代です。
住環境も洋室中心の団地などが普及し、家のなかで掃除するときに出るホコリの種類が“土・砂”から“綿埃”へと変化しました。
また高度成長期の日本では家電製品が各家庭に広まり、掃除機の開発も進んでいきました。
従来のキャニスター型から、ハンドクリーナータイプ、サイクロン式タイプなど、掃除機は一家に一台だけでなく、複数台持つことも多くなっています。
2002年(平成14年)には、自動で床掃除をするロボット型掃除機が日本に初登場。
その手軽さや便利さは多くの人に愛されています。
もちろん家電だけでなく、1980年代頃から粘着式カーペットクリーナーや、フローリングの掃除に便利なペーパーモップなど、住環境に適した身近な掃除道具もどんどん開発されています。
掃除によってさまざまな場所を清潔にする……そんな思いが掃除道具をより便利に使いやすくしているのかもしれません。
江戸時代から広まった誰もが家や街のキレイさを保つという、お掃除文化。
コロナ時代の今だからこそ、振り返って忘れないようにしたいですね。