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  日本のごみ行政の変遷 ごみに対する社会の認識は、「不潔で不要なもの」から、「資源になるものを取り出して生かすもの」へ変化しています。とくに平成に入ってからは、リサイクル関連法が続々と施行されています。明治から戦前の昭和(公衆衛生処理時代)では、明治20年(1887)に「塵芥取締規則」により、ふた付ごみ箱(木製)の義務付けが行なわれました。この時代背景として、明治10年のコレラ流行、明治20年代後半のペスト流行、明治33年の「汚物掃除法」施行などがあります。戦後・高度経済成長期の昭和(焼却・埋立てによる効率処理時代)では、昭和30年川崎市でゴミ回収専用車が開発され、全国の都市部に普及しました。昭和36年には、東京でポリエチレンごみ容器によるステーション(集積場)回収が始まりました。昭和41年には、東京で廃棄物処理施設をめぐり、住民紛争=「東京ごみ戦争」が起こりました。昭和45年には、「廃棄物処理法」が施行されました。昭和後期からバブル崩壊後の平成では、昭和50年、沼津市で行政主導リサイクル事業が始まりました。この頃から「混ぜればごみ、分ければ資源」の標語が使われ始めました。以降、平成3年「再生資源利用促進法」、平成7年「容器包装リサイクル法」(9年、PETボトルなど対象施行、12年、完全施行)、平成12年「循環型社会形成推進基本法」、「建設リサイクル法」、「食品リサイクル法」施行などが行なわれました。